聖書はわたしたちの唯一無二の標準ですので、わたしたちは聖書の中で罪定めされている分裂の立場や独自の名称(それが聖書の真理であれ、偉大な人物であれ)を取ることはしたくありません(Ⅰコリント1:10-12)。聖書の中の教会の立場は、「アンテオケに在る教会」(使徒13:1)や「エペソに在る教会」(啓示録2:1)などと書かれているように、地方都市がその立場であることがわかりました。このゆえに、市川市に住んでいるわたしたちは聖書で示されている模範にしたがい、「市川に在る教会」として教会生活を行なっています。
「市川に在る」というフレーズはわたしたちの名称ではなく説明にすぎないと理解しています。また、使徒の時代の初期の認識と実行によれば、教会は建築物を指すのではなく、その地方都市に住むすべてのクリスチャンを指していました。わたしたちは主イエス以外の名前を何も掲げない、市川にあるただの「教会」であることを神の御前で望んでいます。そして、ヒラデルヒアに在る教会のように、少しばかりの力をもって、主の言葉と主の御名を否まずに、主に喜ばれる者となることを願い(啓示録3:8)、共に神の住まいとして建造されていくことを目標としています(マタイ16:18、エペソ2:21-22)。
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