使徒20:7
そして週の初めの日、わたしたちがパンをさくために集まった時、……
市川に在る教会では毎週主日(日曜日)に「パンさき集会」を実行しています。一般的には日曜礼拝と呼ばれているものですが、わたしたちは聖書の記録に基づいて「パンさき」あるいは「主の食卓」と呼んでいます。(主日については、質問集の「主日って何?」を参照ください。)
マタイによる福音書第26章は、最後の晩餐として知られている物語ですが、主イエス自らがパンを取って、祝福してさき、弟子たちに与えて、このパンを食べるように告げました。また、杯を取って、感謝をささげて、弟子たちに与えて、この杯から飲むように告げました(マタイ26:26-30)。コリント人への第一の手紙第11章での記録によれば、主を記念するため(主のことを思い出すため)にまた、主の死を告げ知らせるために(主がわたしたちのために死んでくださったという事実を告げ知らせるために)、主が来られるまで(再来される時まで)この事を行なうようにと書かれています(Ⅰコリント11:23-26)。
この命令は、使徒行伝の初期には日ごとに、家から家で信者たちによって守られていました(使徒2:46-47)。おそらく、主イエスの時と同じように、数名から十数名で個人の家で夕食を共にし、その後、その同じテーブルでパンと杯にあずかっていたのでしょう。当初の状況は、わたしたちが一般的にイメージする教会の礼拝の荘厳で静寂な雰囲気とだいぶ異なっていたことがわかると思います。むしろ、雰囲気は家庭の雰囲気に近かったのです。またこの実行は使徒行伝第20章の時になると毎日ではなく、週の初めの日に行なうようになりました(7節)。これは使徒たちが週の初めの日を「主のために」集まる日と考えていたことを示しています。これらの記録にしたがって、わたしたちは毎週主日(週の初めの日は、聖書によれば月曜日ではなく、主日です)にパンさき集会を行なって、主を記念しています。
この集会の中では、集まった兄弟姉妹たちがみんなで共に歌い、自由に祈りと感謝と賛美をささげます。決まった人だけがお祈りをささげたり、歌ったりする方法は取っていません。神は彼のすべての子供たちが口を開いて賛美することを願っています。
主イエスを信じて、バプテスマされている人はだれでも共にパンと杯にあずかることができます。まだ信じていないノンクリスチャンの方もパンと杯にはあずかれませんが、集会を自由に見学し、歌を歌ったりすることができますので、興味のある方がいましたら、お気軽にご参加ください。心が洗われて、きれいになりますよ^^。
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