私は両親がクリスチャンだったので小さい頃から教会にいっていたChurch Kidsでした。子どもながらに主を信じ日曜日になれば当たり前のように一人で若しくは弟をつれて教会に行っていました。福音を伝える為に父が仕事を辞め長野から静岡に引っ越しをしました。
私が最初に主に触れたのは小学6年生です。
小さい頃から背が高く目立つ私は女の子をいじめる男の子とケンカして相手を泣かせてしまうような気の強い活発な子供で、よく母からはもっとおしとやかにしなさいと窘められたものでした。突然今まで自分がしてきた事を悔い改め涙が流れました。そして段々と私の行動は変わっていきましたが、その時はただ集会にいくだけでした。
真面目で学級委員をするような生徒でしたが目立つのは変わらずで、友だちも多く中学生になると色んな友だちが出来ました。中学3年生の体育祭の後友だちがバイクに乗ってきて、私は後ろに乗り坂を降りた時にブレーキが利かず、ガードレールにぶつかりバイクから飛ばされ、偶然通りかかった人が救急車を呼び運ばれました。
脳挫傷で顔も元の顔がわからないほど腫れ上がり生死をさ迷っていました。強い薬を使うか、その薬を使っても生きるか植物人間かは。五分五分だといわれましたが、父は祈り主を信頼して私はその治療を受けました。
10日間意識不明でICUにいた私は母のおお主イエスよと呼ぶ声で目を覚ましました。
1ヶ月位の入院が終わり直ぐ学校に戻ることが出来ました。
以上のことは聴覚障がい者だった父と主治医のやり取のノートから私が普通の生活に戻ったときに読んでわかりました。
実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ちました。それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼するためでした。(コリント人への第二の手紙第1章9節)
主はわたしに再び命を与えてくださいました。
その後バプテスマを受け、朝、集会所に行き若い兄弟姉妹たちと聖書を読んだり 詩歌を歌ったり
教会生活を楽しみました。
多少の後遺症や身体的な事で時々落ち込む事もありますが、生活の一部になっている集会に参加することができ、主の愛の中で兄弟姉妹に育まれ今こうしていられることを主に感謝します。
S.Y.姉妹
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