こんにちは
私は浙江省から来ました。
みなさんに自分の経験をシェアさせていただき、大変光栄に思います。
今日のテーマは “主に告げる”です。
彼はすべての事柄を聞いてくださいます。
主に一回告げ、心を彼に注ぎ出すなら、主との親密さが一段と増し、彼をさらに知るようになることを、わたしたちは認識すべきです。
このような時に彼と親密な接触を持つことは、通常の交わりの何百倍にもまさります。このような接触によって、わたしたちは命において前進するのです。わたしたちは自分の困難を主にもたらして、彼に告げるべきです。
主はわたしたちを慰め、支えることができます。人がもし主の御前で涙を流したことがなく、主と苦楽を分かち合ったこともなく、自分の秘密の事柄を主に話したこともないのであれば、このような人は決して主との親密な交わりがなく、主との親密な行き来がありません。
次に、私の信仰ストーリーをお伝えします。
わたしは14歳か15歳の頃から故郷からほかの都市で、また海外でも勉強していました。
そして、大学も江西省でした。大卒後、日本にきました。周りのすべてが変わったと感じました。
友達も家族も変わり、使う言語も変わりました。そして、1-2年ごとに引っ越しします。アルバイトもよく変わりました。周りのすべてが変わりました。
このような環境の中で、自分はまるで小さな舟のように漂っていて安定していなくて、根がなく拠り所もないと感じていました。
主イエスを信じる前に、このような生活が私を悩ませ、苦しませていました。しかし、主を信じてから、これらすべて積極的に変わりました。
私は大学三年生の時、ある姉妹を通して、主を信じました。その後、自分には拠り所があると感じました。中国にいても、日本にいても、自分には拠り所があると感じました。
今の修士課程を卒業してから、北京に行く予定ですが、それも心配はないと感じています。私にも拠り所があるからです。私はどこにいても、何の言語を使っても、私には拠り所があるのです。それは主イエスです。
私の心が迷い、ためらい、恐れるたびに、私は私の恐れやためらいや迷い事をすべて主に告げて、主に祈ります。不思議なことに、祈りの後、心の重荷が下りた気がします。私には頼れる方がいるから、もはや恐れたりする必要がないとはっきりした感覚がありました。主がすべてを案配し、導いてくださるからです。
2020年、私は大学院の受験のため、非常にプレッシャーがあったことは今もはっきりと覚えています。日本には私の勉強したい専攻がある学校は少ないから、プレッシャーが非常に大きかったのです。それで、私は毎日主に祈っていました。周りの友達に自分のプレッシャーと告げることができませんでした。
彼らは私のプレッシャーを感じることができないからです。ですので、私は私のプレッシャーを毎日主に祈りました。それだけでなく、私は教会の兄弟姉妹にも開いて交わりました。兄弟姉妹は毎週、祈ってくださっていました。
すると、不思議なことが起こりました。ある日、私の友達は急に私を起こして、東京にある塾を見に行ってみないと聞いてきました。その日、ちょうどアルバイトがなかったので、一緒に行きました。塾についたら、その塾の一人の生徒は今の私の教授の学生であることに気づきました。つまり、今の私の先輩です。中国人同士のためか、彼の研究計画書と私の物ととても似ているところが多くありました。教授は研究計画書が似ている2人の学生を取りませんので、私は自分の研究計画書を修正し、順調にこの学校に入りました。このことは非常に不思議だと思いました。
東京の塾は何百もあるのに、わたしはたまたまあの塾に行ったのです。私の教授はここ10年間、取った学生のうち、中国人は私の先輩1人だけでした。たまたま私はこの先輩に出会いました。ですので、私は非常に不思議に思いました。これはある聖書の御言葉を思い出させました。
ローマ8:28
神を愛する者---には---すべてが共に働いて益となる
ですので、みなさん、生活の中で、なんでも、主に告げることができます。よくない事とか疑い事とかプレッシャーとか難しい問題とか。何の事に遭遇しても、これらすべてのことを祈りで主に告げることができます。
まるで、聖書の御言葉が言っているようです。
ピリピ4:6-7
何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知らせなさい.そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心と思考を、キリスト・イエスの中で護衛してくださいます。
そして、教会の兄弟姉妹にも言うことができます。そうしたら、兄弟姉妹が祈ってくださいます。これは本当にすばらしい生活です。
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