柴田兄弟は、脳外科医として長らく医療に携わってこられました。
十数年前、お孫さんが生命が脅かされる可能性があり、また、後遺症が残る可能性も高い髄膜炎であることがわかりました。
このことを通して兄弟は、自分の心からの祈りを投げかけることができるのは真の神であることをはっきりと認識し、転機されました。
和多田兄弟:そうですね。神がいないという状態から、神を通して祈ることができるって言うところが転換点になったんだと思うんですけど。
柴田兄弟:あれは確かにそうですね。やっぱり、びっくりしていた。駆けつけて順天堂の浦安の病院に行ったら、女房と娘がベッドのところで、泣きながら祈ってたんですよね。
それを見たときに、やっぱり、その様子はただ呆然としてこっちで見ていただけで、一緒に祈ろうっていうことに、祈ることもできなかったと言う、それが私にとっては、何とも情けないというかショックっていうか、それを強烈な印象を持ったんですね。
あれは今でも忘れられないでいるんですけど、それがきっかけで、神を信仰上、持っているか持っていないかということが、こんな大きなね、これが死ぬかもしれない、その病気の孫を見ている所でも、一緒に祈ることができない自分て言うのが、強烈に印象付けられたって言うのがあったんですね。
孫が大きなきっかけですね。それで、それ以来、本こういうのを、手元にあるのを手当たり次第にこう引っ張り出して、読んでみたりって言うので、それがあって。
私が和多田兄弟と会ったのはいつだったかな。なにしろ、兄弟が市川に来られてからの話ですね。
和多田兄弟:2008年ぐらいですね。
柴田兄弟:あの時、南谷兄弟のところに、土曜日にね、あれが私にとってはすごく、1つの大きな影響を与えてくれましたね。
兄弟が曜日だってのは毎週土曜日の、確か2時ぐらいから1時間ぐらい、南谷兄弟の家に集まって、後は習志野の岸田兄弟が、来てくれて4人で本を読んでちょっと説明をしたり、聞いたりしながらっていうね、あれが非常に私にとっては、率直にそのかつての(キリスト教に対する否定的な)印象が消えていったっていう大きな転換点となりました。
あれから、いつ頃だったかな、確か市川のあそこを(集会所購入のために)探して、自転車で回って走り回ったりした頃は、もう僕はバプテスマを受けたんだと思うんですけど。受けた時期とどのぐらいずれているか覚えていないんですけどね。
あの頃がひとつの大きな話、大切な私にとっては、兄弟があれだけ時間をとってくださってそれで、南谷さんていう年配の方が、これだけ熱心にして、やっぱり今、僕は杖をつきますけど、あの方も杖をつきながらね。
市川の集会所が得られて、喜んでそこに集まりだしたときな、印象とその前に、俺もバプテスマを受けてもいいかなぁなんて思って、喋ったときに、女房が連絡を取ったらしくて、わーっと姉妹たちが集まった。
それでもってね、我が家でバプテスマを受けたっていう、そーゆーポツポツっていうのがあの断片的にあって、それからあれでしたね、市川集会所が得られて、あそこに通いだしてからは、私も必ずって言って何かどうしてもって言うことじゃない限りは、行こうっていうので、ちょっとあそこを得てね、今に至るまでのことっていうのは、すごく私にとっての人生観が変わったっていうかなんていうか。あれでしたね。
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