聖書を読むようにとは救われた時からずっと聞いてきましたが、読むことはあまりありませんでした。ところが十年位前に、ある姉妹に一枚の御言葉カードを頂き、本棚の取手に掛けました。この御言葉は“いつもよろこんでいなさい、絶えず祈りなさい、 あらゆることで感謝しなさい。なぜなら これがあなたかたに対するキリスト・イエスにある神のみこころだらです。”(Ⅰテサロニケ第5章16-18節)
本棚の前を通る毎に目に入るので、すぐに覚えました。はじめの頃は「いい言葉だな」と思っただけでした。しばらくすると、言葉が心にひっかかり始めました。
「この情況の中で喜べる訳がないでしょう。」「神の創造は凄い!感謝だね。」「何で祈れ
ないんだろう?」「何をどう祈るの」等々でした。主に感謝します。
私は、主が私の中で絶えず働いて下さっており、きびしいと思える環境も神の愛から出た神の案配であることを理解できました。
祈りは主の御名を呼び、主との交わりを持つことであり、感謝することは良いことが起ったからだけでなく、内にいてくださる主がすべてを備えておられるからです。それゆえに、クリスチャンはどんな時にも喜んでいられるのだと知りました。
本棚にかけられているこのカードはすっかり色あせてきましたが、この言葉は私の実際の生活の中で今も新鮮であり、私の支えになっています。この主に感謝と賛美を捧げます。感謝します。
得救以后,一直听到“要读圣经啊”,但我还是没怎么读。
然而,十几年前,我从一个姊妹哪里得到了一张圣经卡片,我把它挂在书架的拉手上
这个圣经节是:
要常常喜乐,不住的祷告,凡事谢恩;因为这是神在基督耶稣里对你们的旨意。
每次从书架前经过,都会看见,所以很快就记住了。
起先,只是觉得这些话很好。
过了些时候,我的心开始有反应。
比如说,「在这种情况下,不可能喜乐吧。」
「何神的创造太不可思议了。太感谢了。」
「我为什么不能祷告呢
祷告什么呢?怎么祷告呢?」等等
感谢主。我现在明白了。主在我里面不断作工,即使艰难的环境也是出于神爱的安排。
我也明白了祷告是呼求主的名,与主交通,
感谢不是仅仅因为有好事发生,更是因为在我里面的主预备了一切。
所以基督徒无论何时都可以喜乐。
挂在书架拉手的这张圣经卡片虽然已经完全褪色了,但是即使是现在,它在我实际的生活中成了我的扶持。我将感谢和赞美献给这位主。感谢主。
さらに、聖書や集会に興味のある方は、下記のフォームからご連絡ください。
コメントをお書きください