第二のキー 「人の堕落」
人の持つ善の性質と悪の性質との奥義を開く
1.人の二つの性質
人は神のかたちに造られました。このためすべての人に神の性質と一致する「善の性質」すなわち誠実、善良、美、知性、親切、勇気などの美徳があります。ところが、人の内にはまた「悪の性質」もあって、「善の性質」と争い合います。これは哲学のいわゆる「道理と欲の争い」です。古今東西を問わず、人の性質を認識している人たちは皆この事実を認めます。
2.罪
罪は人の内にあるので、人は良いことをしようと願っても、それを実行することができません。
どん欲、しっと、人殺しを願う人はありません。
おごり、高ぶり、欺きを願う人はありません。
いらだち、汚れ、情欲を願う人はありません。
ぐち、不平、のろいを願う人はありません。
ところが反対に、人にはこれらの「悪の性質」からのがれることができないのです。
どうか次の聖書の言葉を読んでください。
「わたしは自分の中に、すなわち、自分の肉の中に、善なるものが住んでいないことを知っています。なぜなら、わたしは善をしようと欲するのですが、善を行なうことはないからです」。ローマ7:18
「もしわたしが欲していないことを行なうなら、それを行なうのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪です」。ローマ7:20
これはまさに人の描写です。
3.人の堕落
罪は人の内には入ってきて、人を堕落させました。図を見てください。
(1)罪は人の霊を死なせました:「ところであなたがたは、自分の違反と罪の中に死んでいて」エペソ2:1
(2)罪は人の思いを背かせました:「かつてあなたがたは神から離れていて、悪い行ないのために、あなたがたの思いの中で敵であったのです」コロサイ1:21
(3)罪は人の体に罪を犯させました:「あなたがたは死ぬべき体の中で、罪に支配させて、体の情欲に従ってはなりません」。ローマ6:12
人は堕落しました。 それはまるで、一台のこわれたラジオのように、音楽を放送できないだけでなく、いつも雑音を発し、調節できません。またちょうど、みぞに落ちたコップのように、本来のすばらしい形は残っていても、今では泥にまみれています。
4.人は自分を救うことはできません
人は昔から、あらゆる方法を尽くし、罪を犯すことから逃れようとしてきましたが、
良い行ないをすることは罪から人を救い出すことができません。
教育は罪から人を救い出すことができません。
道徳は罪から人を救い出すことができません。
お経を読むことは罪から人を救い出すことができません。
仏像を拝むことは罪から人を救い出すことができません。
人生の描写は、まさに善の性質と悪の性質が互いに争っている絵です!
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