わたし(ウオッチマン・ニー)は山の花や鳥が好きです。しかし、わたしが近づくと鳥たちは飛び去ってしまいます。わたしには鳥に害を加えようとする気はまったくないのですが、鳥たちはわたしの心を知らないので、いつもわたしを避けました。鳥たちにわたしの心を知ってもらう唯一の方法は、わたしが彼らの言葉を語り、鳥になって彼らの間を飛び、わたしの気持ちを伝えることです。そうすれば、わたしは誤解されないでしょう。
神はわたしたちに対して同じように感じておられます。神はわたしたちを愛しており、わたしたちに神ご自身に近づいてもらいたいのです。ところが、わたしたちは神の心を知りません。神は多くの方法で預言者を通して神がわたしたちを愛しておられることを語られましたが、わたしたちは理解しませんでした。ですから、神は自らこの世に来て、人と成られました。もし、わたしが鳥になったらあなたは「なんというへりくだりでしょう!」と言うでしょう。それなら栄光の神がご自身を低くして人と成られるとはなんというへりくだりでしょう!
"丈夫な人には医者はいらない。いるのは病んでいる人である"
神はイエスです。イエスが地上で三十三年間人を取り扱われた方法は、神が人を取り扱われる方法と同じです。ある日、らい病の人は汚れて悪臭を放っていますが、主はこの人に同情して、神イエスなら一言で彼を清めることができましたが、主は御手を伸ばして彼に触れられました。このように、神はあなたを憎まれません。神はあなたを愛されます。イエスは言います「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病んでいる人である」。ある人は「わたしはこんなにもひどい罪人なのに、神はまだわたしを欲しておられるのだろうか?」と不思議に思います。イエスは神の心を開き、神がわたしたちを欲しておられ、私たちを愛しておられることを見せられました。イエスは「わたしは医者であって、病人をおそれない」と言われました。病人は医者を恐れません。ある人は自分はいつも罪を犯してしまうので、神はわたしたちを好きでなく、滅びてほしいと思っていると言います。どうか友よ、神があなたに何の悪意も持っていないことを見ますように。
"あなたはイエスがなくてもこの世で幸いであることができます。
しかし主イエスは天で、あなた無しでは幸いであることができません。"
別の事例で、ある伝道者が一人の少女を悔い改めに導きました。しかし彼女はつまづいてしまいました。ある日教会へ行くと、同じ伝道者が宣べ伝えていました。彼女は彼の心を傷つけることを言おうと決心し、メッセージが終わって彼の所へ行って「わたしはもうイエスは必要ではありません。わたしはそれでも幸いです」と言いました。その伝道者は答えました「あなたはイエスがなくてもこの世で幸いであることができます。しかし主イエスは天で、あなた無しでは幸いであることができません」。神はわたしたちを得て、初めて幸いになることができるのです。私たちに対する神の愛は、子に対する母親の愛よりまさります。夫婦の愛よりもまさります。神はあなたを愛しておられるのです!
人が一つの罪を一秒でも犯すなら、地獄に行くのに十分です。あなたは決して悪いことをしてない、悪い言葉も話していないと思いますか? 神は罪を憎まれます。すべての人が罪を犯したことを神は知られたので、世に来て一人の人と成り、十字架上で人の罪を担われました。これは神がなされた最初のことでした。さらに、イエスがあなたのために死んでくださったにもかかわらず、なおもあなたが罪を犯すことも神は知っています。なので、神はご自身の霊をあなたに与え、あなたの中で生き、あなたを強めて罪を犯さないようにされます。これが神がなされた第二のことです。神があなたに命を与えられないのではありません。あなたが命を得ようとしないのです。あなたが命を得ることを神は願い、望んでおられます。あなたが求めるなら永遠の命を持ちます。ある伝道者は言いました「天の門の掛けがねは外側にある」。天の門の掛けがねは外側にあるので、神には問題はありません。ただあなたが入ろうとするかどうかです。神は今日、あなたがたが家に帰るようにと呼んでおられます。
イエスはあなたがたのために死なれ、命を与える霊が来られました。この話しを聞いているだれも、地獄へ行ってはなりません。しかしあなたがもし主を受け入れないなら他に方法はありません。あなたが神に「わたしは罪人です。わたしはあなたを受け入れたいです」と言うなら、あなたは救われます。そうすれば神は喜ばれ、あなたも神と共に喜びます。神は愛です!
(日本福音書房、「福音メッセージ集、第一集、神は願われる」より抜粋)
さらに聖書について知りたい方は、以下のフォームからご連絡ください: